2024年6月30日日曜日

木に魅せられる

天気が不安定な一日だった. 梅雨入りはしたけれど梅雨っぽくない日が続いている. 今朝はとても涼しくて湿度も低く午前中は秋のような天気だった. 午後から降ったり止んだりの繰り返しのなった. 

そんな天気のせいか, 帰り道の空は雲がいろいろな表情を見せていた. 高い山の反対側は濃い灰色の雲がもくもくしていた. こちらは飛行機雲が右往左往, そこに薄い灰色の雲と白いうろこ状の雲がたなびいている. その奥にはきれいな青空があった. 

運転をしながら雲を見ていた. 可能なら, このまま車の窓から見える情景をずっと見ていたい. 


今日も一日中歩いた.  気持ちの良い山道だった.  所どころに滝があった.  ほとんど人の手が入っていないような沢だった. 

人が手を入れたところは人はその後の処理をしないとならない.  処理は自然に対して更に手を入れないとならない場合が多い. 手を入れるときも処理をするときも, いろいろな箇所に あるいはいろいろな組織に断りや条件など決め事をしないとならない. 

表現が抽象的でわかりにくいな. たとえばこうだ, 大きくなった木(販売目的で
)を搬出するときに(もちろん大量にだ), トラックで運ぶか, クレーンで釣り上げるか, 近場に適当な川があればそこに落として流すか, を考える. 重機を入れるにはそれなりの道路が必要になる .  道を作る山の持ち主, そこまでの道が公か民か, 川の付近に釣り堀や用水路の引き込みがないか(水が濁るなどで苦情が来ることがあるらしい), とバックグランドの 状況を考えてから判断する. 

先日のブログでかいた鉄塔も然り. 鉄塔の場所の持ち主, 電線が通る場所の所有者に確認と了解 あるいは賃料が発生するかもしれない. 

考えるだけで私は気が遠くなる. 


山を見て, あふれる緑を見て, 綺麗な川の流れをみて, 静寂な森を見て,  自然の恩恵に感謝しているだけでしあわせを感じる. 以前はそれだけだった. 今は少し違う. 
木からの恩恵は数知れないけれど, 木材にするには木を倒さないとならない. 前にも書いたように木を搬出する手はずをとる. そういうことを考えるようになった.

還暦になってもどうも考え方が浅はかな自分を常づね感じるが, 今回木を搬出する方法を確認するために山に入ったことで”木を使うということ”に考えが及んでいなかったことに気づいた. 

本が大好きな私は, それだから木も好きなんだと思っている. ついでに言うと紙が好き. ノートやメモ紙, えんぴつも. どれも木からのたまもの. 

木を育て, 木を伐り搬出し, 木材にしさらに加工されて本やノートになってくる. この過程を忘れないでいよう. どれだけの人が関っているのか考えると1冊の本もノートも愛しくなる.


やっぱり木が好き. 

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