2023年12月31日日曜日

暮れの挨拶 in Forest

ここ何日か温かいお天気が続いている. 多くの人が年末年始の休みに. 公園はジョギングをする人に多く出会う. 駐車場は12/28から1/4まで解放します, と公園の管理課の張り紙があった. 粋な計らいだ. 


私は今日も明日も仕事. 動くのが大儀にならないうちに森に暮れの挨拶に出かけた. 

どんな天候の時も, 森は森だった. 私の気持ちがどうであっても森はそこにあった. 元気に森に出かけた時も, 落ち着かない気持ちの時も, 自分自身に絶望を感じた時も, 森は森だった.   それは私にとって救いだった. 気持ちを開放してくれる場所だった. 

斯くありたい, どんな状況でも,どんな状態でも, 私は私でありたい. 森がそこに森であるように.

ありがとう, ヒノキの幹に触れた. 来年もよろしく, メタセコイヤに挨拶. 

森の空気を吸って, 森の中を歩き回って, 汗をかいて, 体が浄化される.


帰り道, カラマツのジュニアたちに出会った.







2023年12月30日土曜日

年の瀬なので…

 まもなく今年も終わり. だけど当たり前のように翌年がやってきてまた一年が始まる. そしてくどいけれど,我らの地球は引き続き自転を休む間なく, グルグル.  連鎖反応で私の思考もグルグル, そう私は地球と一緒に自転しながら生きている(もちろん私の思考の話). そう思うと自分の思考のクルクル度も納得いく. 


さて,一年の〆は第九で,という方は多いのだろうか.


彼(もちろんヴェートーベン)との最初の出会いは, 幼少期我が家にあった月光のピアノ演奏のレコード. ジャケットは学校の音楽室に飾ってある肖像画と同じだったと思う. 斜め前方を睨みつけてるような険しい顔.顔が怖くてそのジャケットを触ることも避けてた. ピアノを習い始めて,楽しき農夫,さらばピアノ,エリーゼのために,エコセーズ等いかめしい顔つきからは想像もつかない可愛らしい曲がたくさんあった.


そして, この第9. 多くの人を引き付ける. 引き付けられるのはエネルギーと希望を与えてくれるからだろう. 演奏を聴いている人の表情が手に取るように伝わる, 蕾だった花がゆっくりと開くように,喜びがじわじわと浸ってくるように. 

特に音楽に造詣があるわけでも,ヴェートーベンに強い思い入れがあるわけでもない. それなのに引き付けられ, 胸をあつくする. 

≪歓喜の歌≫として知られているこの曲, つい最近知ったことだけれど,@Livingで作曲家の三枝成彰氏が詳しくかかれていた.歌詞にはドイツ語で“Freide(喜び)”という言葉が使われているが,本来この詩を書いたシラーは“Freiheit(自由)”という言葉を使った. 当時は政治的に異端視され使用できなかったが, ベートーヴェンはその思想をメロディーに託したかった. 気になった方は記事を読んでもらいたい. 詳しく書かれている. 


知ってる,という方も多かろうとは思うけれど, Flash Mobでの演奏でお気に入りを紹介したい. 気になる方はどうぞ.


この作品は釘付けになるくらい感動的だった. 指揮者がまた存在感があった. 意思の強さを感じた. コメントで大学のプロフェッサーだと知った,おばあちゃんコンダクター. 実にパワフル. 


次の動画は子供たちの動きに目を奪われる. 素直な感情が行動に出ていてほほえましい.



そして, 大学生の第9.

かっこいいね, この雰囲気. 一番惹かれたのは, ティンパニー演奏の学生がアジア人, 日本人のように見えてならないことだ. 少し腰を沈めるように淡々と演奏をしている. 華やかさはないが存在感があった. 




2023年12月22日金曜日

お年頃の雑念 vol.ⅱ

昨日の 朝, 深夜から少し少しパラパラと降った雪が木々の枝を覆っていた.

初雪だ.

この日仕事の都合でいつもより30分早く家を出た. 家の前は解けた雪でツルツルになっていた. 少し迷ったけど自転車を用意した. 公園の中なら木の枝で道は凍っていないし積雪もないだろう,とふんだ. 予想的中で,冷たいけれど, 凛と澄んでミスとの詰まった空気の中を走って出勤. 街中はほとんど雪はなかった.

当たり前なことだけれど, 雪と寒さと葉の落ちた木々と, なんて素敵な組み合わせだろうと思う. これ以上の組み合わせは考えられない. 夏もしかり. これ以上にないシチュエーションの立役者はもちろん我らの≪地球≫だ.


先日還暦を迎えたので≪献体≫の登録を申し出た. 後日会員証が送付されてくる. どんなに献体を希望しても献体されるに至るにはハードルがあるそうだ. 感染力の強い病気で亡くなる, 交通事故等出血量の多い無くなり方をする, 孤独死, 親族が拒んだなどの理由で亡くなったら≪献体≫とはスムーズにいかないらしい. まずは健康体でなくなること, と矛盾すようないいかただけれど. だけど, われらが地球人の務めの≪生きる≫ことの終い方を考えると, 健康体でなくなることは辻褄が会うように私には思えた. 

そのような無くなり方をするには自己管理が必要で, ストイックな生き方をしようと言っているのではなく, 自分のやり方で健康を維持できる方法を見つければいいのかな,と思う. そう, 自分スタンダードで. 

冬の寒さと景色がしっくりと合うように, 自分の生き方が自分自身に,そして自然としっくり合うように生きていきたいな. 等身大で, でも向上(ヨガのインストラクター曰く,向上とは少しづつ変化が分らないくらい小さな変化で前進していくことだと)しながら. 

こんな風に考えられるのは私がそれなりに年を重ねてきたから. 30代や40代ではもっと貪欲で見栄を張っていて, こうでなければ,という考えに縛られていた.  もっと楽にしてればよかったなぁ. 


2023年12月15日金曜日

それぞれの冬模様

 日差しは温かいが窓がガタガタとなりヒューっと吹きすさぶ風で,外出をあきらめた. 森はきっとお宝が落ちてるだろう. 明日探しに行こう. 


今朝は寒々しい曇り空から更に暗くなって雨が降ってきた. すっかり冬になった. 妹に誕生日プレゼントを贈るのに街中へお買い物に.  地下鉄の駅まで公園内を歩いていたら上空の方からなんとも苦し気な,悲し気な声が聞こえてきた. 上を見上げると大きな鳥が4羽縦に並んで飛んでいた. そのうちの1羽が横に逸れて,なお一層の哀愁漂う声で鳴きだした.  どうした?仲間割れか?と見ていると,後から1羽が合流し,5羽揃って飛んでった. 白鳥だった. 南西から北北東に向かっていると見た. そういえばあちらの方角に白鳥の飛来地があったような.

鳴き声にはビックリしたけれど, 大きな羽をはばたかせて飛んで行く姿は雄大だった.  良い旅を!

帰り道, 頭上でなにか気配を感じて見上げると, また鳥さん. グレーの雀より体長が大きい鳥, ヒヨドリかな. 葉が落ちた木の枝にチョンと3羽程よく間隔を取って停まっていた. 小雨の降る中寒そうにひっそりと停まっていた. 


思いもよらないこのような出会いは私の心をじんわりと温める. 


冬模様の森の中

モミジバフウの実とメタセコイヤの実とヒノキ,サワラの葉
 メタセコイヤの実とユリノキの実とサワラの葉

ヒノキとサワラの葉(葉の先がチョンと茶色になっている(花芽)のが可愛らしい,花粉の要因だけど)







2023年12月12日火曜日

地球に痺れた

 三日前の暴風で森の道は落ち葉の海と化した. 翌日公園の入り口付近は落ち葉がきれいに掃き集められていた. 石畳やアスファルトの道は落ち葉があると滑りやすくなるからだろう. 砂利道は落ち葉の海のままで,あぁ冬が近いなぁ…という風情だ. カサカサと歩くたびに枯葉を踏む音がする. 森は空が近くなり解放的になる. 空と森の空気が一体になって地面の奥深くまで空気が行き渡るようだ. 

お宝集め(落ち葉や木の実拾い)もそろそろ終盤だ. 

アオキが緑色の芽をつけた. 木蓮の枝先は白くふっくらとしてる. メタセコイヤの足元は茶色かかったオレンジ色の地面になっている. クスノキとイチイは緑色の葉を空に向けて伸ばしている.

それぞれの冬支度.


地球システムの講義をうけてとにかく痺れた, 何にって≪地球≫に.

地球が誕生して48億年たったとされている. その間地球はずっと自転をし自身の核,周りを取り巻く大気をシステム化し地球であらしめた. これは地球の仕事.48億年ずっと.100年余りも寿命のない私たちホモサピエンスは何が仕事か. 言わずもがな,≪生きる≫ことだ. これが地球で暮らすシステムの一員としての仕事だ. ずっと考えていた. 具体的な職業ではなく存在することの意義のようなモノは何だろうと. ≪生きる≫ことで私たちは地球システムの一員の義務を務めることができるのではないか,と思う. どう生きるかはそれから,まずは"生きろ"という地球のメッセージを私は受け取った. 

落ち葉の海になった山道

落ち葉の海になった山道 その2