手に豆をつくる仕事
メタセコイヤ 紅葉してきた |
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ふと思い出した. 15年以上も前の事.
私は専業主婦で子供は小学生だった. テレビで特集番組をやっていた. 3回に組まれた番組で2回目からみていた. タイトルは『ワーキング・プア』. 番組では我が子と同じ年の子が, 日中働き,一度帰宅し食事等の準備をしてから夜働きに出かける母親に行かないで,と泣いてぐずっていた. 母親の年齢は私よりずいぶんと若かった. 私は30歳半ばに初出産だったから.
そのころの私は, 不満だらけの日々だった. 特に夫に不満が強く,ずっとワンオペ育児だったし, 突然出張が入ったり,夕ご飯を食べるといって食べなかったり. お互いに意思の疎通がうまくいってないことが不満の大部分だった. 今思えば,若かったな…ですむ話だけれど, そのころ心にそんな余裕はなかった. 余裕がない原因は夫以外にも私自身の問題ももちろんあった.
子供が少し大きくなって手がそれほどかからなくなった. そろそろ仕事をしようか,とも思っていたころだった.
泣いてぐずっている子どもをみると,本当にいたたまれなくなり,さぞお母さんは辛いだろう,と感情移入してしまった. 離婚して一人で頑張っている母親は他人事ではなかったし何より,日頃の私の不満が恥ずかしかった. そのお母さんに心の中で盛大に声援を送った.
3回目では1回目で取材を受けた青年が再度登場していた. 彼は30代前半で路上生活者だった. 1回目の取材では,彼の一日はコンビニ等のごみ箱からキレイな雑誌や漫画本を探しそれを現金にする. そのお金でカップ麺を買って食べるという過ごし方だった. 別に辛いとも悲しいとも何も感じない,といった内容を話していた記憶がある. 抑揚のない話し方だった.
3回目では彼は仲間たちと公園や歩道脇の除草作業をしていた.行政からの仕事だった. 1か月に2週間ほど. 歩いてる人から,ありがとうやきれいになったわね, と言われるととてもうれしいと言う彼の話し方は抑揚があった. 一日おきにお風呂に入りに行き,帰りは食堂でご飯を食べる. だけど,帰るところはガード下の段ボールの家. いつかきちんと家に住めるようになったら, 居場所のわからない母親を探して会いに行きたい. 産んでくれてありがとう,と伝えたい,といった彼は取材してから初めて涙を流したそうだ. 本人も取材で話していた,あの頃は感情がなかったと言っていた.
ソファーでゆったり座ってみていた私は段々身を乗り出し, 床に降り, 正座をして真剣に見ていた. 働くって何だろう, 仕事をすることって… ぐるぐる考えながらみていた.
この番組の最後が言葉にならなかった. 切なくて,苦しくて,本当になんと表現してよいのかわからなかった.
年末, 上野公園での炊き出しに彼はボランティアの手伝いとして参加していた. 一番最後に炊き出しをもらった彼は, 近くにいた初老の路上生活者の男性に全てあげた. 前にも書いたが彼は30代の男性で, ぼかしの映像ではあったが背が高く,がっちりとしていたように見えた. 朝から炊き出しの手伝いでお腹が空いていないはずはない. なぜあげられるの?なぜ,なぜ?
涙が私の頬をながれる. なんの涙かわからない. 彼の心の温かさを感じたのか, 無欲な路上生活者の彼の心の豊さを感じたのか.
自分の体の中で私の血液が体中を回るのを感じた. こうしている場合ではない,動け,働け.私の体からそんな声が聞こえてきた.
いてもたってもいられず,翌日ハローワークに行くと, なんとうってつけの仕事があった. 手に豆をつくり汗を流す仕事が.
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