2023年10月31日火曜日

自分スタンダード

 4,5か月前から不調だった肩から腕にかけての症状に病名がついた.

”頸椎椎間板ヘルニア”. もっと早く整形外科に行ってればよかった.

整体で何とかなる,と思っていたけれどどうにもならなくなった.

服の着脱,鞄を背負う,こういう動作に影響がでてきた.

3年前は腰椎すべり症になって3か月歩けなくなった.

サイクリングをしジョギングをし常日ごろストレッチをしている私が.

断っておくが全て我流ではある.

人の平均寿命は延び続け,仕事も定年のないものがいろいろある.

パッと見て年齢のわからないシニアは大勢いる,みな揃って若々しいしエネルギッシュだ.


自身はどう見られているかわからないけれど,しわ,たるみ,シミ,どれをとってもこの年齢に相応しいかあるいはそれ以上の年齢に見えると思う.特にシミは一目を引くほどだ.こんなことで一目を引くのは本意ではないが,いやどんなことでも人目を引くのは本意ではないけれど.

すくなくとも,若い時分にイメージしていた還暦の姿より今は若々しいし元気だと感じる.けれど明らかに,じわじわと年齢を感じずにはいられない症状の自覚がでてきた.たくさん食べれなくなった,すぐ胃もたれをおこす,パッパと動けなくなった,お出掛けが億劫になった,疲れやすくなった,集中力が続かない,なかでもが少なくなった. これはいいことかもしれないけれど,意欲低下につながる.

人類が長生きをするようになってまだ日が浅い.これまでの自分たちの生き方の結果,方向性がこれから出てくる. そういう意味において,長生きすることは,私には少々怖い部分がある.先ほどの体の不調などは,今までの自身の体のケアに問題があったともいえるのではないか.そしてどんなに元気で健康に自信があっても,体は年を採るものなのだ.こんなはずでは,ではなく,こんなはずなのだ. 裏付けがあるのではない,あくまで持論だ. こんなはずなのに,それなのに未だやりたいことがある. 綿密な計画ではないが,やりたいことの100%のうち20%or30%はできそうになってきた. 今はそれに向かって無理のない範囲で動いている.

人生100年といわれ始めた.これから老人たちがどんな生き方をしていくか,良くも悪くも参考になるのだろう.


梨木果歩の『僕はそして僕たちはどう生きるか』2011年に 理論社より発行  この本は中高生向けにかかれたものだが私にはとても大切な書物になった. 本のあとがきの解説は澤地久枝氏で,最後に年齢,性別問わず読書会をしたい,と書かれていた. 本当に読書会をしたいと思った. 

大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき,少しでも違和感があったら,

自分は何に引っ掛かっているのか,意識のライトを当てて明らかにする.自分が足掛かりにすべきはそこだ.自分基準(自分スタンダード)で「自分」をつくっていくんだ.

他人の『普通』はそこには関係ない


還暦を迎えた私の生き方の指針の一つ, ジブンスタンダード. いい響きだね.

この本からもう一所引用.


人が生きるために群れは必要だ. 強制や糾弾のない,許し合える,ゆるやかで温かい絆の群れが. 人がひとりになることも了解してくれる,離れていくことも認めてくれる,けど,いつでも迎えてくれる,そんな「いい加減」の群れ.

 そういう「群れの体温」みたいなものを必要としている人に,いざ,出会ったら,ときを逸せず,すぐさま迷わず,この言葉を言う力を,自分につけるために,僕は,考え続けて,生きていく.


やあ.

よかったら,ここにおいでよ.

気に入ったら,

ここが君のせきだよ.


心に染み入るメッセージだ.



 落ち着かない日を送っている.

来月,あるいは再来月の中頃までにはなんとか決着を付けられると思う.順調にいったならばの話.


ストーブを出し,扇風機を片付けて冬に備える.

出勤時は日の出ではなく星を見ながらになり,途中日の出にお目にかかる.

日の出や夕日をみるとジッドの『地の糧』をいつも思い出す.


   夕暮れを,一日がそこに死んでゆくのだと思って眺め,朝明けを,

万物がそこに生まれてくるのだと思って眺めよ.

   君の眼に映ずるものが刻々に新たならんことを.

   賢者とはよろずのことに驚嘆する人を言う.


毎日が初めての一日,昨日の嫌なことはお日様と一緒に沈んでもらった.

森の中では,木々たちが,生き物たちはどうだろう.



粉々になったドングリでいっぱいの道は,今は粉々になった葉であふれている. 木々の間から見える空の面積が広がり,空気の温度が下がる. いつの間にかキノコの黴臭いにおいは無くなり澄んださわやかな森の空気になった. 

森の呼吸を感じる. 森と一緒に呼吸…

森の秋が私の体に入り込んで私の体も夏から秋の私になった. 一緒に冬に備えよう. 澄んだ空気と柔らかな日差しに体をさらして体に秋を沁みこます.  


ジッドは25歳で『地の糧』を2年かけて書いたそうだ. 訳者の今日出海氏は25歳でこの書を読んで2年かけて訳したとあとがきに書いている. 青春の書. 今,還暦の私は未だにこの『地の糧』から卒業できていない. いまだに青春中なのか,あるいは精神年齢が著しく低いか. でも本人はこの書から卒業を望んでいない. ちなみに私がこの書を購入したのは20歳,大学生のときだった.

ずっと絶版だったこの書が2023,4に復刻版で出版されていた. 手元にある私の書物は昭和52年,第31版と書かれている. 


正直にいうと,『地の糧』は私にとってバイブルのような書物,自身の考え方の指針になるほんだが,先に抜粋した箇所が私のなかの毛細血管の中に入り全身に行き渡ってしまって,他の文が頭に入っていない. 『地の糧』= 朝明けを……になっている.

還暦を記念してその枠から一歩踏む出すべく, 新版を購入して読んでみよう.








2023年10月25日水曜日

 本当に少しづず日の出がおそくなり日の入りが早くなる.

東に日の出を見ながらの出勤になった.

今日は疲れた, うまくいかない日だった. そんな日もあるさ, と

自分に言い聞かせながら, 小雨の中自転車で帰った.


パレスチナとイスラエルが戦争を始めた. トルコは地震にみまわれた. アフガニスタンにも地震が起きた. 世の中の平和, 地球を美しくすること, ふがいない自分.

心が痛む. 仕事で疲れたことと桁違いで.

いったい私は何をどうすればいい?  世の中の正義はどこに行った?


そんなことを考えていたら今日, とっても嬉しいメールが届いた.

以前(7~8年前かな)勤めていた福祉施設の利用者さんからで, 現在はそこで支援員として勤めているという. 支援員の立場が分かりました, お世話になりましたという内容だった. 

こんなこともあるんだな. 私は福祉関係の仕事は自分には合っていないと感じていたけどこのメールは本当に嬉しい. ジワーッときた. 仕事疲れはもう吹っ飛んだ. きっとこんな経験があると仕事を続けられるんだね. 利用者さんとの出会いに感謝.


嬉しいことも嫌なこともあって世の中バランスをとってる. だけど戦争だけは, これだけは絶対絶対起こしてはいけない. 負のサイクルは更なる負のサイクルにつながる. 人類はどうして戦争を辞められないのだろう. そういう脳のつくりなのか? 自分たちの住んでいるこの地球を痛めつけて自爆行為ではないか?


平和, 何年前だろう, 沖縄の終戦記念式典で当時小学校1年生の男児が詩を読んだ. 平和ってなんだろう… 心が温かくなって目の前に情景が浮かぶ澄んだ詩だった. 私はそれを新聞で知った. しばらくしたらその詩は絵本になった. またその詩を思い出すときある本を思い出す. 

『みどりのゆび』(岩波少年文庫 モーリス・ドリュオン)
 主人公のチトのお父さんは武器工場の経営者だった. みどりを芽生えさせ花を咲かせることのできる指をもつチトは戦争がはじまると一大決心を….
この本を思い出す. そしてDr.中村のドキュメンタリー映画を思い出す.
 家を,仕事を,家族を,食べ物を奪われた人たちは銃を持って戦いに出かけた. 枯れてひび割れた大地に水が引かれ,緑がもどってきたら, 銃を持っていた人たちが戻ってきて一緒に水路つくりを始めた.  月並みな表現だけど笑顔がまぶしかった.
 仲間たちと一緒に汗を流し,笑い合い,手に豆を作りながらともに働く, これ以上の平和があるだろうか.

Be still my soul.



2023年10月7日土曜日

 昨日はそれはそれは大変な暴風で

午前で仕事を終え自転車で帰宅するときも, 横からの風に倒れそうになり

車道から歩道へ移って自転車を押して歩いたくらい大変な風だった.

帰宅すると, 森がざわついてた.


森が呼んでいた. 今来いと.

歩くたびにガサガサ,バキバキ,音がする. 落ち葉が乾いて風に, 私の足に踏まれて鳴る.

ドングリやマツボックリがこれも風に翻弄され, 私に踏みつけられ鳴る.

森の中の道は風の暴れ具合をあらわしていた.

当たり前だけど, 木は風に従順だ. 実を任せてる. しなやかなのだ.

抵抗したとて何になろう.

仕方のないことにムキになっても徒労に終わるだけだ.

ひらひら舞い落ちる木の葉を見ながら思った. 森はそのことを私に感じさせたかったのだろうか.


木を見上げてばかりはいられなかった.

足元にお宝がぞくぞくで, もう目を皿のようにして歩いた.

強風で森は人出が少なかったが, それでも人はいて, 宝さがしをしている私を訝し気に見てる. 人がいなかったらもうポケットに一杯お宝を詰め込むのに, 遠慮してちょっとだけ.楓の先が少し赤くなった実, クヌギの青々とした枝付きの実, クマ̪シデの緑色の実, ひのきの若い実, メタセコイヤの葉と花芽, モミジバフウの若実,  そして,ヒノキや松, サワラ, ケヤキやシデの葉がたくさんたくさんあった.

ブーケにしたらどんなに素敵かな, もうわくわくが止まらない.

なんて楽しいんだろう, 木の葉や実を見ているだけで楽しくなる. 豊かな自然のめぐみ.

クヌギの葉っぱに注目.
虫こぶ. ハチさんの仕業.


クヌギの実, この日一番のお宝.

メタセコイヤの葉と花芽
森の脇にある公共施設の駐車場に行く道. 
空気が乾燥しているので緑色の葉もすぐにカサカサに.

マツボックリだらけの道







2023年10月5日木曜日

 昨日,今日と風が強い. 秋なので乾いた涼しい風.

森ではざわっと木々が騒ぐ.  色づいた葉や木の実が風と一緒に宙を舞う.

木々の葉の間から射す日の光は晴天でも柔らかい.

うん,秋. 秋だ.

それだけでなぜかうれしい. 秋は私にとって地球からのプレゼントだ.


リスにあった. もっともあちらは一目散に木の上に駆けていったけれど.

アザミが咲いていた, ミゾソバが咲いていた.







 
森の中には上のような脇道がたくさんある. 沢は丸太を何本か渡して通れるようになっている. きれいに下草が刈られてた. 涼しくなったけれどこの手の草むらはまだ虫がたくさんいて, 獲物が来た, と言わんばかりに追ってきた. 
丸太の脇に腐った切り株がある. まるで3匹ヤギのガラガラドンのトロルのようだ.

ミゾソバはピンボケになってしまった. 残念, 大好きな花.
父は自宅のまわりに刈っても刈っても生えてくるこの植物にいつも文句たらたらだった.
こんなにかわいいのに.

トウカエデの葉が紅葉を始めた. 部分的に真っ赤になって落葉している.
メタセコイヤは花芽を膨らませている.

音もなく静かにそっとそっと, 植物たちは秋の装いを, そして冬に備えて準備をしている.
私も静かに静かにそっとそっと, やがて訪れるこの世との別れに向けて支度していきたい.
静かに静かにそっとそっと.

沢を渡ったら今度は急な登り. 白っぽく見える木はブナ. 道は落ち葉が増えてきた. ホウノ木の落ち葉は大きくてぎょっとする.




30年ぶりの再読

郵便を出しに行った帰り森に入る. 入った途端キノコ臭が鼻を衝く.

下草を刈られた後に再度伸びてきたミズヒキが花を咲かせてる.

萩が花芽を膨らませてきた. もうじき満開になるだろう.

ほうの木の実や葉が落ちている. 紅葉してきた葉も多くなってきた.

森の中の道はドングリがたくさん落ちて潰れているモノも多い.

本当にすっかり秋. 


若い時から,本の好きなフレーズをノートに書き留めている.

30年前のノートが出てきた. 

ノートを読み返していたら, どうしても再読したくなった本があった. その本はおそらく図書館で借りたものなのか手元に無い.

Amazomで検索すると中古本であった. 早速購入. 今朝届いた.

30年前と同じ版. 再版されていないのだろう.

読んでいたら, なんと私がノートに抜粋した箇所にラインが引いてある.

ほとんど同じ個所だ. 私と同じような感性なのか.

正直,とっても嬉しい. 握手したいくらい. 


1988年 12月20日発行.
初版なのか再版の記述無.

関東地方の古本屋さんから送られてきた.

この表紙に書かれているほんのうち,
スース, スタイグ, アチェベの3冊は読んだことがない.
おそらく, この本を以前所有していた方も先の3冊を読んでいないのかなと
思っている. ラインが一つも引かれていないから.


この本を読んでいると, 次々と好きな本を思い出しそれを紐解きたくなる.
だから一向に読み進まない.
部屋が本だらけになる.
日記もブログも書きかけのノートも飲みかけの紅茶も
全てゴチャゴチャになって,
ピッピのおうちの”ごたごた荘”ってこんかなと思ったりする.
そう思うと, こういうのもありかな,と思えてくるから, やっぱり
ピッピ効果ってすごいんだな, と感心するし, 感化される還暦の自分に苦笑する.



2023年10月3日火曜日

今朝出勤時には西の空に月があった. きれいな満月だった.

森ではガビさん(ガビチョウ)たちがにぎやかにお話し中.

みなそれぞれの朝.


漠然と自分は52歳くらいには死ぬんじゃないか,と思っていた.

実母は42歳で病死した. それでなんとなくそんなに自分も長生きは

しないだろう,と思っていた. 52歳をなんの問題もなく(健康上)過ぎ

もしかしたら60歳で死ぬのかな, と考えを改めた.

まもなく60歳を迎えるが, 今のところやはり何の問題もなさそうで(くどいけれど健康上)

私はまだ生きるらしい.

そして, 人はそう簡単に死にはしないらしい.




















































































































































2023年10月1日日曜日

憧れる山暮らし

 家の前の森は大きな公園で地下鉄の駅が2つ, 北の端と東の端とにある.

10月から5月まで16:30で閉園する. といっても出入りはできる.

駐車場,駐輪場がふさがれるだけだ. 暗くなると,地下鉄の駅付近と公園の北の端付近に

オレンジ色のやわらかな光の街灯が灯る. 生き物に配慮した光なのかなと思っている.


本日10月1日. 15:45から15分おきに閉園のアナウンスが流れる.

そうだ,今日から10月だった.  

私はこのアナウンスが好きでない.

連れ合いが突然死してから越してきた今の家. その日から聞いてるアナウンス.

否応なしにそのころに引き戻され気分が重たくなる.

だから6月になるととてもホッとする. 梅雨が始まり暑い夏の到来が迫る時期なのに,

ホッとする自分に苦笑する.


豪雪地帯の山の麓で生まれた. 4歳までそこで育った.

高校生になるまで幾度と引っ越しをした. 親の仕事の都合で.

都会にも住んでいたことはあった. けれどまもなく還暦というこのとしになって

やはり自分は山で暮らすのが性に合っていると思った.

山が近くにあると落ち着く.

自分が解放されていくように感じる.

これが私のアイデンティティーか.

緑があるところ以外アスファルトやコンクリートで覆われている大地.

そのことに息苦しさを感じてしまう.  


森は目の前にあるけれどこれは山ではない.  やっぱり山がいい.

山の麓の小さい家, 庭があるといいな.

できたら雑木林付きで.

緑を楽しみ, 木の実を採り, 花をめでて, 空気を堪能する.


あー,私の山暮らし, 実現はいつの日か….



私の理想のおうちです.