2023年9月29日金曜日

関連付けについての自己定義

いつになったら涼しくなるんだろう,のセリフはすっかり影をひそめ

日が短くなった, 今朝は寒かった, 街路樹紅葉してきたね,

と会話も秋の装い.

酷暑,極暑(辞書(新明解国語辞典)には載っていなかったがPCで表示された)の日々から

解放されて日常に戻った私たち.


ブログのプロフィールの好きな映画欄を更新しておもいだした.

『モーリタリアン 黒塗りの記録』 私には衝撃的な映画だった.

その中で主人公のスワヒのセリフは心に残っている.

アラビア語で自由という言葉は許しという意味もあるんだ,と.だから自分は

誰も憎んではいない,自由だから.

自由と許しが同義語なんて,なんて素敵な言葉なんだろう.


先日読んだ本,Dr.中村の言葉のなかに

この戦争は何かおかしい, 戦争の根っこはタリバンでもアルカイダでもなく

自分たちの中にあるといっていた.

アルカイダの面々は普通の生活しているアゼルバイジャンの方ではなく

裕福でかつハイレベルな教育,それも国外(ヨーロッパやアメリカ等)で教育を受けた人たちだといってた.

考えてみれば日本だって誰しも自由に飛行機は操縦できやしないし,外国語もPCも戦争を企てるレベルに使いこなせる人なんてそうそういない,と私の感覚ではおもう.

誰かがどこかで仕組んでいる. というと陰謀論好きに思われるかもしれないけれど, 少しは疑いの目を持って物事を見る習慣を持つのは必要と感じる.

物事の核心部分や,個々の真実をつなぎ合わせると, 何か全体像が見えてくるのではないかと確信しているが, 果たして私はその物事の核心部分に近いと手ごたえでも感じていたのか?わからない. 整理整頓が苦手なわたしはいつもいつも頭の中が混乱している. 実生活もしかり.いつも思考途中で挫折やあきらめ,あるいは考えていたことそのものを忘れ私のブラックホールが膨らんでゆく.

この状態を何とか脱却すべく, コーチングというのにすがろうと思ったが,何かが引っかかった. 何かとは,一番はとてつもなく高額だったこと(相場を知らないが), それと高慢ながらそんなに自分を変えないといけないのかという疑問があったこと. 成功・幸せがキーワードのように感じられそれほどまでに自分はそれらを求めているのか,確信がなかったこと.  そういう要素を含んだもやもやっとした何かが申し込みに至らなかった理由. で,相も変わらずゴチャゴチャとした頭の中にいる.

このブログを読んだ方は実感されていると思うけれど(読んだ方がいればの話だが), テーマが絞り切れていない,話が多岐に. これは整理整頓ができていない証.  だけどどうしても関連付けでこうなってしまう. つまり物事はいくつも繋がりがあって単独では説明がつかない,そのことの証でもあるのではないか,と思うにいたった. 体のいい言い訳だけど.


日はのぼり光を注ぐ.

私たちは当たり前のように明るい中を歩く.

楽しい人にも悲しい人にも, 優しい人にも意地悪な人にも,

選ぶことをしない.みな平等に光を,光の暖かさを受ける.


日は沈み闇がやってくる.

月が星が出てきて闇を照らす.


ありがとう.

当たり前の日常がとても有難いことだと気づく.

ありがとう,自然に, 地球に.

どうしたら恩返しができるだろう.

静けさのなかで考える, 太陽と月と星と我らの地球と

素晴らしいシステムと生き物たち.


やはり戦争をしないこと, 外に出る(植物のための二酸化炭素放出)こと.

と私は考える.












2023年9月27日水曜日

お年頃の雑念

 一日中雨かと思ったら15:00過ぎたころ晴れ間が出てきた.

お散歩がてら公園経由で銀行に通帳記帳しに行こう,と出かけた.

今日は雨上がりとはいってもまた蒸し暑くなっていて半袖姿の人が多い.

もうすぐ10月だのに. 

銀行の帰りにスーパーに寄ってサツマイモを買う.

サツマイモご飯にする予定.


そろそろ始めようか,と公園を走っている人を見ながら思う.

今年の4月ごろから全く走らなくなった. それまでは週2,3回は40分くらいのジョギングをしていた. 疲れと体調不良で走る意欲がなくなった. しばらくして発熱と喉の痛み,関節の痛みで動けなくなった.  コロナは陰性. 咽頭炎と診断された. 熱が下がっても体調は戻らず,働く気持ちも無くなって仕事を辞めた. 4日間寝た. 麦茶しか飲めなかった. 歩いて10分のスーパーに行って帰ってきただけで疲れて寝込んだ. どーした私,いくら自分にカツを入れても体は動かなかった.  いや違う,動く気持ちが起こらなかったのだ. 

 これはだめだ,その気になるまで,動きたいと思うまで待つしかない,と自分に言い聞かせた.

今思えばあれはコロナだったんじゃないか,と.

それともメンタルが弱ってしまったのか.

いやいや, そういうお年頃なんだ. いくら平均寿命が延びたからといっても, 60歳は節目.半世紀以上この世で暮らしてきたんだ, 少し心身が崩れたとてたいしたことではない.


昨日一冊の本を読み終えた. 

『人は愛するに足り,真心は信ずるに足る』中村哲 聞き手 澤地久枝 (岩波現代文庫)

今年の6月にドキュメンタリー映画を観た. タイトルはこの本と同じ. 日曜日だったが小さな劇場はいっぱいになった. 

そういうお年頃,と言ってる私より一回り以上も年上のDr.中村はエネルギッシュでソフトで穏やかで心身ともにタフガイだった.

比べられるものではないことは重々わかっている. けれど, 目のまえにいる苦しんでいる人をほっておけない,何か良い方法はないかと手を差し伸べるこのDr.中村の生きる信念のようなものが私の心に沁みてきた. 

優しさ, 親切, 思いやり, 表面的な言葉では言い表せないものが沁みてきた.

すごい方だな, 飄々としたその佇まいもまたその方の相手を思う懐の深さを思う.Dr.が糾弾に倒れた後も戦争は無くならない. 

地球温暖化防止の一番は二酸化炭素削減ではなく戦争禁止だと確信する. 武器や戦いに必要なもの全てを難民や困っている地域に投資すれば,温暖化防止と世界平和が見返りにやってくる. 素晴らしい報酬だ. では具体的にどうすれば?そこが問題だ.


銀行がある通りにはモミジバフウの並木道. 場所によって葉の色づきが違う. ほんの1,2mだけで全然違う. ほとんどの葉はまだ緑色だったけれどところどころ真っ赤になっている葉もあった. 月の表面のような実もまだ青々していた.

木の実大集合・・・球体で凸凹しているのがモミジバフウの実


公園から見上げたモミジバフウ


本日の収穫物・・・メタセコイヤメスギの落ち葉とミズナラの実





きのこ祭り

もうすっかり秋.

心が軽い,身も軽い,が食欲は募る.

いい感じの反比例だ.


森は今,”きのこのこ祭り”でてんやわんやの大騒ぎ.

森に入ったとたんかび臭い, 少し生臭さもある.

犯人の正体はキノコ.

とっても採取したかったけれど私の森ではないので…

一日経つとキノコは確実に体型がかわる.

中には色まで変わるものもあった.


高校時代,秋の行事に“茸狩り”があって,近所の山にグループに分かれてキノコ採りに出かける(もちろん,山の持ち主には事前に了解をえての入山). その日は一日中その行事で, キノコの博士を毎回お招きして自分たちが採取したキノコの鑑定をしていただいた. 食べられるものを昼食のキノコ汁に入れて皆で食した.

昼食後は先生のキノコ講義. 普通科の学校だったけれどそんな行事があったことをふと思い出した.逆にそういう行事があったから授業の時間数が多かったように記憶している.

あの頃,そんなにキノコに夢中にならなかったのに(授業がなくてラッキー程度だった)今は見ているだけで面白い. それだけ年を取ったということなのか.




食べられるのか, 毒なのか, なんという名なのか,

とりあえず写真だけ撮ってグーグルで検索.



が,似ているものが多すぎて判断がつかない.

難しいキノコ判定.

だけれど見ていて楽しいキノコ軍団.

お化けのようなもの,絵本に出てきそうなかわいいもの,

とってもおいしそうなもの,あきらかに毒とわ


かるもの.

みなそれぞれにそれぞれの場所でお出ましお出まし.


ここ2,3日晴天が続いて空気も乾燥していた.

森は黴臭さが幾分緩んでさわやかな空気だった. 湿気が多い場所はやはり黴臭さかったが.

今日は一転して朝からずっと雨の一日.

またキノコたちはにょきにょきとお出ましになっているだろう.


どんなに暑さが強くても,または弱くても

その時がくると自然はその時使用になるように準備している.

大地の偉大さ,地球のシステムの強靭さ.

そして,暑い,寒い,いろいろ文句をいう人の身勝手さ.





 最近はエアコンを切っていいる時間が増えた.

日の出は遅くなり日の暮れは早まった.

圧倒的な虫の音,米の刈入れ,果物の収穫,街路樹の色付き,

圧倒的に秋が押し寄せているにも関わらず気温が高い.


8月の中頃からか,天気予報が来週の中頃から秋らしく,といっていた

記憶がある.それが いまだに続いている.

つまり読めない天気なのだ.

異常気象が常態化しているけれど,毎年毎年異常気象だからデータが出そろわないんだね.



2023年9月11日月曜日

夜風と虫の声とうどんと

 9月ももう10日も過ぎたというのに今日も真夏日だった.

日が沈み窓を開けると気持ちの良い風が入ってきた.

エアコンを切り家じゅうの窓を開ける.


風と一緒に纏わりつくような湿度も入ってきた.

湿度が苦手な私.でも今日はこのままで.

その湿度と一緒に虫の声も入ってきた.

空気中余すところなく虫の声.

手で空気を掴むとそこに虫の声が入っているんじゃないかっていうくらい.


急にうどんが食べたくなった.

あっついうどん.

冷凍うどんを温め,玉ねぎとしなびた長ネギ,干しシイタケ,卵,そして油麩.

油麩は私の住む地方の特産品のようだ.

お気に入りの食材.

お麩を油で揚げたもの.

煮物やお味噌汁等に重宝する.


ひときわ虫の声が騒がしくなった.

涼しさの効果より暑苦しさいや増しだ.

汗をかきかきうどんをすすり,虫の声を聴き夜風にあたる.

虫の声と一緒にこんな曲はいかが?


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通勤は体力と天候の許す限りロードバイク.

出勤時間がいつも早いので朝は最近少し涼しい.

何十キロも走れそうな気分.

Huhuun♬ 

山道がすきで,林道や里山の細い小道を見つけるとワクワクする.


老後は,

今日は畑で作業,

明日は森に出かけて,

帰ってきたら,収穫物(木の実や葉っぱ)をレイアウトしてみる.

そんな暮らし夢見てる.









2023年9月10日日曜日

地に足を付ける

 地に足を付けなさい.

むかし親に注意されたような記憶がある.

地に足が付いた人生.

それは安心安全で穏やかで安定感がある,そういうイメージがある.

まもなく還暦.

還暦とは人生の達人になれると思っていたが.


テキトーで思い立ったら吉日と

後先考えずに突進する.

仕方がないんね,いろんなじんせいがあっていろんな性格があって,

人それぞれの生き方がある.


そういうことにしておかないと

私の生き方のつじつまがあわなくなる.


今は思い切って残りの人生を

やりたかったことに挑戦してみようと思っているけれど

年齢的に大丈夫かさすがに不安になって

言葉で気持ちを表現してみた.


挑戦したい気持ちと不安な気持ちのどちらに軍配があがるか.

しばらく考えてよーく自身の気持ちを掘り起こしてみよう.

性急に結論は出さないよーに.


 ホッとしたことがあった.

ムッとしたことがあった.

心配なことが起こった.

可笑しいことが起こった.

いやな気持になったことがあった.

そしてとっても疲れた.


いろいろあったけれど無事に一日が終わりそうだ.


いろいろあってよかったね.

いろいろあるのが人生だ.

うん,それは知っている.


相変わらず蒸し暑い日が続いている.

でも私は元気だ.

たくさんの感情に振り回されてしまったけれど.


エアコンを消して窓を開けた.

もう日が暮れる.

今日の空はどんよりで雨でも呼びたそうだ.


耳鳴りのような虫の声が空気をいっぱいにしている.



2023年9月6日水曜日

大雨

 昨夜から大雨で

警戒レベル3の警報が出された.

携帯の警報音が鳴って地震かと思ったら洪水警報だった.


幸い私の住んでいる場所は高台でかつ坂の上に建っているので

洪水の心配はない.


郵便物の不在票があったのでまた公園内を突っ切って郵便局へ出かけた.

が,20mほど歩いて行くのを断念した.

立っているだけでずぶぬれで,公園内の歩道も高さ1cmほどの川になっていた.

いくら木が道の上にせり出していてもこれはむり.

本当に激しい雨だ.

今日は仕事が休みで良かった,良かった

TVで見ると職場付近は道路が冠水していた.

一日の降水量が1か月分の量だったとアナウンスされた.


異常気象が異常でなくなる,

そういう現象が日々起こっていてそれに慣らされていくのだろうか.

農作物やほかの生命体も個々に戸惑いながら順応していき,

人もそれに倣い順応されていく.

温暖化防止を声高に問題視しながら,温暖化に順応していく.

これが地球に生きるものの生業なのか.


暑すぎても寒すぎても,

モノが高騰してもあるいは下落しても,

自身の生きざまは淡々と,平和に,穏やかに.

そうできるように今は準備の時期なのか.



雨の公園で拾った百日紅の花びら



雨が止んで日が射してきた公園


秋の装い

 久しぶりにお花屋さんに寄った.

リンドウがあったので買ってきた.

剪定したラヴェンダーとローズマリーと一緒に

ミニブーケに.


今日は一日中雨の予報.

これを境に秋の空気が入ってくるとうれしいな.



2023年9月5日火曜日

 それにしても

それにしても何だってこんなに面倒で訳が分からないのか?

今世界中の人の中で,blogを書いている人や自身のホームページを作成して

メッセージを送っている人は一体どれくらいいるんだろう.

皆さん,さっさとblogを書かれているのだろうか.


こうやってblogをかいている今もいろんなことが

いろんな設定がまだできていない,らしい.

らしい,というのは何かをすると引っかかる,調べると未設定、エラーとか表示される.

スマホ片手にPC操作して画面を2分割にして悪戦苦闘.


なのに解決しない.


あまりに自分の理解力がないのでWEB無料講座を紐解いた.

初歩の初歩,およそ4,5時間メニューを2週間かけてきれいにノートにまとめた.

まだコースは15回分残っている.

ちなみに,1コースというのは1回ではなく単元の回数だ.

WEBというのは,ひとつひとつ丁寧に設定をし,終わらせたら次の設定をする.

とても順序よくそして確実な作業だということがわかった.

バランス感覚と情報処理のセンスが必要だと感じた.


どちらも持ち合わせがない.

もうこれは腹をくくってなるようになれ,いや

だれも読まないblogをせっせと投稿している自分がなぜだかおかしくもあり

いとおしくもあり,どこかやっぱり私だなと思うところもあり….

流れに身を任せることにする.

都合のいいセリフだ.


しかし,PCの事だけではなくほかのいろんなことが,

言葉は読めるけれど理解できないという現象が私に起こっている.

老化,単なる間抜け,様々なご意見があろうけれど自身ではひそかに焦っている.


いろいろなことに腹をくくる覚悟が今後必要になってくるのだろう.

そのために,備忘録がわりにせっせとblogなのだ.

WEB講座のためのノート. テキストはPC上にしかないので私はノートをとらないとわからなくなってしまう. この初歩中の初歩のノートだけで72ページになった.

前途多難・・・



2023年9月4日月曜日

しあわせについての

しあわせについて

よく考える.

あなたはしあわせになりたいですか?ととわれると 

即答できない自分がいる.

けっして不幸になりたいと思っているわけではないが

しあわせはなりたいと思うことなのか?

何かの折にふとしあわせだと感じる,そういうたぐいのものなのではないか.


それはたとえ悲しみのなかにあっても

感じられるものだと思う.


それはエネルギッシュで光り輝くものとは限らないと思うし

何かを達成したから感じられるものでもないと思う.


わたしはしあわせを感じるより満足を感じる.

好きな音楽を聴けた,森の中を歩いて木々の香りを楽しんだ,

部屋を片付けた,子供と一緒においしいケーキを食べた,満足,満足.


満足はおなかがいっぱいになる.

満ち足りているから.

いや,これが私のしあわせなのか?


2023年9月1日金曜日

待ってたよ

ポストに不在票が入っていたので夕方郵便局まで取りに行く.

片道1.5km. 公園内を突っ切って行ったところに郵便局はある.

ちょっとした用事も公園を通ると楽しいお散歩になる.


いつもウォーキングに出かける時間より遅くに出かけた.

18:00もまわって間もなく日暮れ.

キッチンの明かりが付いて夕食の準備をしているおうちがある.

お醤油の煮物のにおいが空気に混じっている.

空は入道雲ではなく厚みのない 薄い透いたような雲だ.


相変わらずの猛暑の日だった.だけれど日は短くなり空は高くなった.

体を抜ける風は心地よい.


秋が来たんだ.

待ってたよ,君を待ってた.

長く続く暑苦しい日,まだ続いてるけれど

秋はちゃんと来てくれた.


公園の木は紅葉しているわけではないのに

黄色から茶になり落葉している.

暑さ負けではないか,素人判断だけど.


この夏,みんなこの昼夜を問わない暑さに耐えてきた.

頑張った.

安心しよう,秋が来た.

木を緩めて,大きく深呼吸だ.


仕事と暑さで疲れてた体が秋の到来を感じて軽くなった.


夕暮れに百日紅の花が明るく映えていた.